沈没船でパーティーしよう

ひとりで生きて死にたい

家ではむにゃむにゃ喋ってる/ポテポテ希望/正直に寝る

職場にいる時と家にいる時で、無意識にかなり違った声の出し方をしていることに気付き、けっこう衝撃を受けた。私の喋り方はあまり抑揚がない。どうやら職場にいる時は、地声の範囲内でも低めの位置で発声し、なおかつ早めのペースで喋っているらしい。これが家にいる時は抑揚のなさはそのままに声の高さが上がり、なおかつ職場よりゆっくりとした早さの喋り方になっている。端的に表すと、家にいる時はむにゃむにゃ喋っている。職場(外)にいる時はそれなりになりたい自分の仮面を纏っているのだなぁとしみじみした。こういう演じ分けを無意識でやっていたことに驚いたけど、多分みんなやってると思う。あと、外と内では求められるものが違うから、それに応じているところもある。職場(外)では強い人間っぽい振る舞いがとても有利に働くし私自身もそうありたいけど、家の中(内)で強い人間っぽい振る舞いをすると意図せずとも同居人たちへの威圧になってしまう。家の中は誰にとっても安全な場所であるべきだから、家の中ではやわらかくて優しい振る舞いをした方が上手く生活が回る。ふと、ここに「男性優位社会の職場で必死に働く人ほど家に帰ると配偶者や子どもに疎まれがち」問題の根幹があると思った。男性性やマチズモに纏わる問題でもある。家庭内においてはマッチョでいるデメリットって果てしなく、大きい。

 

休日で何もしたくなくて家でダラダラしていたが、何もしないのにも飽きたのでおやつの時間に喫茶店に行ってみた。ポテトを頼んだらバスケットに山盛りになったポテトが出てきた。黙々と食べていたが、多い。多いしアツアツだし、とても一気には食べられない。「混雑時には長時間のご利用を控えてね」といった旨の貼り紙が壁にあるのに、メニューの量がどう考えても長時間のご利用を前提としている。アツアツでザクザクのポテトを頬張り口の中をズタズタにしていると、隣のボックス席に男性っぽい装いをした大学生らしき四人組がやってきた。和気あいあいと学生に手の届く価格帯のファッションブランドではどれが良いかの話をしており、この世界ってまだ希望があるのかもしれないなと思った。私には同年代の男性と好きなファッションについて喋る経験が全く得られなかった。だから私にとっては希望なんだよ。誰にも伝わらないだろうけど。ニュートラルに別の話題に移ったあたりでポテトを完食したので会計して店を出た。ポテトにはバナナジュースがよく合った。

 

眠いな。ここ最近は「自分に正直になる」がモットーなので、眠かったら通例にしてるブログの三話構成を平気で放り投げて寝ます。