沈没船でパーティーしよう

ひとりで生きて死にたい

泣きながらカップ麺を食べた元旦の夜

元旦の夜、カップ麺を食べながら泣いた。イヤホンからは癒されたい私を全肯定する女の子が囁くASMRシチュボ動画が流れている。「あなたはとっても頑張ってるよ」と画面の中の女の子に言われて、頑張ってるから何なのと思う。そんなの知ってるよ。私は今まで生きてきてずっと、頑張らなかった時はないよ。頑張ったからって求めるものは手に入らない。頑張ったからって望む結果は出ない。人から認められなくたって頑張ってるのは前提で、頑張ってもどうにもならないから苦しいのに。「無理しないで」と画面の中の女の子に言われる。無理しなきゃ安全な環境を確保出来ないんだから、多少は無理するしかないんだよ。ぶっ壊れないギリギリのラインを見極めながら無理せざるを得ない局面だってあるでしょ。

有毒で依存性のある物質に似た無責任全肯定を耳に流しながら、私は友人に見捨てられた時のことを想像してラーメンを啜って泣いていた。この人に見捨てられたら、私は生きていけるんだろうか。大丈夫、私は意外と頑丈なので何やかんやで生きていける。死ぬほど落ち込んで悲しんでも死なない確信がある。ただ、傷は治らないかもしれないし、その後の性格は嫌になるほどひん曲がるかもしれない。

抗不安薬を飲んでしばらくすると、特定の友人に見捨てられ不安を慰撫してもらいたいがためだけのクソLINEを送ってしまう衝動と返信が来ないことによるおかしくなりそうな不安は落ち着いてくる。見捨てられ不安から来る確認行為って本当に恐ろしくて、やってもやっても不安はおさまるどころか増幅していき、さらに確認行為がエスカレートする無限地獄にいともたやすく陥ってしまう。そして自分の信用はどんどん減っていき、「見捨てられるかもしれない」という不安が現実に近づいていく。冷静になったら何も良いことがないのに、依存性が強くて自分の意志だけではなかなかやめられなくなる。だから薬を飲んで荒ぶる不安の衝動を落ち着かせている。これでも昔よりはだいぶマシになりました。地道にやっていくしかない。