沈没船でパーティーしよう

ひとりで生きて死にたい

大人の階段を爆上がるアラサー(性別不問)、あるいは成熟について

20代折り返し地点を過ぎてもなお、私は歳を取ることを「大人になる」と捉えている。死を迎える瞬間まで大人への階段に終わりはない。「成熟する」と言い換えてもいい。私は平均的な同年代より精神の発達が偏りがちで、養育環境の影響もあり、情緒面での思春期を迎えるのもかなり遅かった。なので、とにかく成熟していくことが生きていく上で何より嬉しいし、年相応に加齢していくことが楽しくて仕方ない。

だから今、風呂嫌いだったのに温泉に行きたい気持ちがムクムク芽生えて自宅で入浴剤を入れた風呂にゆっくり浸かったり、脂っこい食べ物を昔ほど食べられなくなって野菜の入ったみそ汁が美味しいを通り越して心身に沁みるようになったり、インテリアに興味が出始めてルームツアー動画を見てIKEAの家具を調べたり、落ち着いた色味の服を着たくなったり、アラサーあるあるがこれでもかと我が身に降りかかる人生を大変エンジョイしている。肉体がゆるやかに衰え始めていくおかげで、逆に生を実感出来ている。昔はもっと心だけで生きていた気がする。「ドライヤーで髪を乾かすと風邪を引かなくなる」とかすら気付かないぐらい、肉体を置いてきぼりにして生きていた。まぁ正直今も無性別サイボーグになりたいとは思っているけど、少しずつ精神と肉体の乖離はマシになってきている。長らく流動的だった性自認も最近はすっかり固定されてきた(固定されたからといって結局シスジェンダーにはなれなかったけども)。

少し抽象的な話だけど、それぞれあちらこちらに点在する統一感のない自我たちの結びつかなさのせいで、自己の連続性が感じられないことに悩まされていた。突き詰めると昨日の自分と今日の自分が同一人物と思えなかった。連続性の感じられなさは自分以外にも当てはまっていて、他者に対しても世界に対してもとにかく「次の瞬間には何が起こるか分からない」という恐怖でいっぱいだった。それは一面では事実でもあるが、私が思っていたほど極端な出来事はほぼ起きない。良いことも悪いこともだんだんと積み重なっていくもので、そりゃあ急激な変化が起こることもあるけど「いきなり爆発して全てが無に帰す」みたいな極端な急激さではない。本当は、いきなり爆発して全てが無に帰って欲しいと望んでいたのは私だったんだろうな。現実ってリセットされないから地道にやっていくしかないんですよ、恐ろしいですね。そんな二極の世界観から少しずつ抜けてきた。中庸な感覚とともに、ようやく自己同一性が育まれてきた。まったく矛盾した側面を矛盾したまま持ち合わせているのは「どちらかの一面が正しくないから矯正しなければ」という話ではない。まだまだゼロ百思考になることも多いけど、全体的にまぁしょうがないですねと思うようになった。良い具合に歳を取りましたね。

まぁしょうがないですね、最悪も最高も矛盾しながら普通に両立している混沌とした現実のめちゃくちゃさを、気付いてしまったらもう受け入れるしかなくなる。まぁしょうがないですね。私の理想を実現してくれる人は存在しないから、「趣味や価値観の合う人と恋人(あるいは任意の特別な関係性)になりたい」なんて望むぐらいなら鏡と会話していた方がいいよ。これは本当です。他者の人格とか尊厳を無視して自分の夢理想欲望を一方的に投影する鏡にするぐらいなら、本当の鏡に映る自分と会話して夢理想欲望は自力で何とかした方が楽になるよ。喉が渇いて合成甘味料たっぷりのジュースを飲んで一瞬気持ち良くなるものの結局余計に喉が乾くみたいなことをもうやめよう。無味無臭の水を飲み続ける地道な退屈さに耐えなければ永遠に喉は潤わない。例え話です、伝わりますか?伝わらなくても大丈夫ですよ。何も分かってないのに完全に分かったつもりになるのが一番怖いですからね。反射で「分かる~」なんて鳴くぐらいなら「よく分からんけどこういうことだろうか」と黙って自分の頭で物事を咀嚼する習慣をつけたいですね。

 

こういう抽象的な話をずっとしていたい。来年もよろしくお願いします。