沈没船でパーティーしよう

ひとりで生きて死にたい

そのカスを求める人もいる/何も言えんが/何かを見ていたい欲

「すべての人間は生きているだけで価値がある」とは思わない。けど、「人間の存在を価値や利益で測るべきではない」とも思わない。『べきではない』というか、人間が集まる場所で生きていたら他者から「この人は私にいかなる利益を与えうるのだろう」と自分の価値を値踏みされることからはどうやっても逃れられない。ただ、その「価値」は相対的なものでしかなく、ある人にとっては掃いて捨てる程度のありふれた石ころでしかなくても、別のある人にとっては他の何にも替えがたい手のひらから溢れんばかりの宝石だったりする。世界はそういうあまりにもかけ離れて互いに理解不能なそれぞれの尺度が渾然一体となって自分や他人の価値を測り合っている。だから「全員価値がある」も「全員無価値」も正確ではない。価値がある/ないという絶対的な評価ではない。私個人はどちらかというと「全員等しく無価値でカス」寄りの価値観だけど、カスの種類は果てしなく無限大で、あなたや私のオリジナルなカスさを喉から手が出るほど欲しがる誰かもいるだろうと思っている。その誰かと生まれてから死ぬまでに出会える保証はないから生きるのってつらいんですけどね。

 

具体的なことは何も言えんが人生がとにかく大変な状況になっていて、少なく見積もっても数ヶ月は続きそうだ。こんな匿名インターネットにすら具体的なことが何も言えん時点でやばさを察して欲しい。だいぶ精神的にしんどい。今日は職場の冷蔵庫に明日のためにクリームたい焼きを置いてきたけど、朝の出勤チャレンジが成功するかは正直微妙だ。休むかもしれない。つーか休ませてくれ!!!!!

 

フォロー/フォロワーの数が一番多かったTwitterの過去アカウントを捨てたら、Twitterに張り付く時間が減った。代わりにはてなブログで新しく知らない人の日記を読んでいる時間が増えた。何か情報を頭に入れたい欲は消えないけど、少しその内容がまとまりのあるものになった気がする。このまま暇な時には軽い気持ちで読書をする人間になってみたいものだ。本を読むという行為は、カロリーが高いから心の準備がいるんです。