沈没船でパーティーしよう

ひとりで生きて死にたい

安心して絶望してください、あなたが気付かなかっただけでこの世はずっと最悪でしたよ。

恩師からよく「歴史を学びなさい」と言われる。ちょっとずつ読みやすい一般向けの歴史書を読んだりしていると、絶望が絶望のまま安らかな慰めへと変わっていくのを感じる。

自分の生きるこの世界が思い通りにならない苛立ち。無秩序で悪意に満ちた世の中に飲み込まれるしかない己の無力さ。ままならない。やるせなさ。そういった厭世感を誰しも思春期に経験していると思うんだけど、平成とか昭和とか令和とか通り越した遥かに遠い過去までさかのぼると、近視眼的な見方が変わる。

だって、この世が秩序正しく整然と自律した理想の円環、もしくは弱者が淘汰されず生き延びられる夢の楽園だったことなんて、一度もない!人類が生まれてから今までずっと、世界がマシだったことなんて一度もない!これがデフォルト!どこもかしこも最悪なのは当たり前なので、絶望とともに生きていくしかない!悲観しなくていい、だって元々こうだったから!

悪化していると感じるのは、それだけ世界に対する期待値が高いからなんだろうなと思う。公正な、秩序正しい、自律した世界が本来の状態だと思うと、今自分が生きてる世界はそりゃあ目も当てられないおぞましいものにしか見えないだろう。でも元々こうだったよ。家族も無償の愛も安全基地もいつでも帰れる居場所も弱くて無力な自分を守ってくれる大きくて強い何かも、本当は誰にもどこにも存在しない。ただ、永遠が存在しないことに運良く気付かずにいられているだけで。全部幻想なんだけど、人々はその幻想を本気で信じることで安定した社会生活を成り立たせている。生きていたらいつかきっと良いことがあるとか、一生友達でいようねとか、お互い対等な関係で愛し愛されて永遠に添い遂げるとか、家族は他人ではないので無条件に受容し合い助け合うものであるとか、何の前触れもなくある日突然とんでもない悲劇が起きるなんて訳がないのでこの日常が明日も明後日もずっと続いていくとか、努力したら報われるとか、そういう幻想。共同体には幻想が必要だ。幻想を信じる力が弱い人間は、孤独に充足して生きる訓練をするしかない。

 

本当は全員誰一人残らず孤独なんだよ。ただ、本当は全員誰一人残らず孤独であると気付いていないだけで。あるいはわざと気付かないようにしているだけで。泣いて喚いてのたうち回って歯を食いしばって耐えるしかない。本当は誰も助けてくれない。自分で自分を助けるしか方法がない。最悪じゃない、当たり前。